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yasuhirochida tumblr

見つけたものをなくさないように、、、、
ここに書きとめておきます。

   
Oct 02
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todf:

Currently cutting my All The Colors Of The Dark trailer. In a perfect world, all I would have to do is cut giallo trailers all day.

todf:

Currently cutting my All The Colors Of The Dark trailer. In a perfect world, all I would have to do is cut giallo trailers all day.

(via 73chn01r)

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(Source: flirst, via haruko-f)

Oct 01
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最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
一行サイエンス (via fialux) (via konishiroku) (via gkojay) (via gkojax) (via mitaimon) (via tatsukii)
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(Source: lemanoosh, via nsx)

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このイベントで発言した研究者は主にふたつに分けられます。スタンフォード大学図書館やNY州バッファローの米ゲーム歴史館のようなゲーム保存施設に属している人々と、大学・大学院でゲームデザイン教育に携わる教員です。

その違いをまとめると、保存施設の人たちは現物のハード、ソフトをどう保存するかという話が中心であったのに対し、ゲーム学科の教員にはオリジナルへのこだわりなど皆無で、エミュレータなどで今のテクノロジーを活用した方が良い、それよりも考えるべきことは他にあるという意見でした。

今ではアメリカの大学、大学院でもゲーム作りを教える学科がかなり増えています。そうした場所では、過去の流れもいちおう押さえておくという、いわば一般教養のような扱いで昔のゲームにも触れさせているのですが、当然そこではエミュレータが使われます。オリジナルの機材など十分な数が揃うはずもなく、そもそも昔のハードウェアでプレイするなど現実的ではないためです。

そんなわけで、ゲーム教育の現場で教えている人にとっては、保存派がオリジナルにこだわる意味がいまひとつ見えてこないのです。それよりも、当時のゲームを今プレイすることについてもっと考えるべきだという主張は、確かに一理あるといえるでしょう。

現場の教員にしてみれば、ゲームデザイン教育の一環として、昔のゲームを扱うのは大変なことです。いくら教養としての扱いとはいえ、学生にどのゲームを遊ばせるかという段階から、相当に考える必要があります。

なにしろ昔のゲームは分かりにくいうえに時間がかかります。RPGやシミュレーションになると、ひとまずどういうものか把握するだけでも数時間は必要ですし、クリアするとなると数十時間は必要になります。学生にそこまでの負担はかけられませんし、かといって過去の遺産をまったく無視するわけにもいかず、現場の教員は頭を痛めているといいます。

そんなわけで保存派と教育派で意見のズレが出てしまったわけですが、こんなことを書くと保存派の人たちは現物を保存することに集中しているかのように思われるかもしれません。

ですが実は、保存派の人たちにも公言できない悩みがあるのです。誰もが気づいているけれど、それを言ったところでどうしようもない、そんな種類の悩みです。

それは、ゲームの保存運動においていちばん重要なのは「記憶」だということです。

一本のゲームがあるとして、これを保存するとなると、そのゲームにまつわる記憶、つまり当時それを作った人や遊んだ人の意識を包括的に押さえておかなければ、そもそも保存したことにならないのです。

実際のゲームを例にして説明すると、たとえば、今の子供にギャラクシアンをプレイさせたとして、その内容は理解されるでしょう。ただ、それだけではギャラクシアンが当時のアーケードでどのような意味を持っていたか、という要素はけして伝わりません。

ギャラクシアンがゲームセンターに登場した時、画面の美しさに誰もが驚いたものです。それはシューティングではありましたが、前年に大流行したスペースインベーダーが一気に色あせて見えるほどの新しさに満ち溢れていました。

80年代の前半までは、アーケードゲームの情報はほとんど一般には流れていませんでした。つまり、いつどのような作品が登場するのか、まったく分からなかったのです。またそれが人々をゲームセンターに向かわせる動機になっていました。

ここでは、ひとつの例としてアーケードの話を出しましたが、これはビデオゲーム全体に共通する要素です。

ただ当時のハード、ソフトを動かせる状態にしておいて、プレイさせたところで、その文化的な意味までは伝わりません。当時の人々がその作品をどう作り、どう受容したのか、そこまでを後世の人々に分からせるようにして初めて、文化の継承がなされたことになるのです。

単に作品の制作状況やその受容を記録することなら、これまでにも文学や美術、映画といった分野で包括的に行われてきました。ではそうした分野のノウハウがそのまま使えるかといえば、そうもいきません。なにしろビデオゲームは双方向の文化であり、これは決定的な違いなのです。(同じことはネット文化にもあてはまります。たとえばパソコン通信の記憶を包括的に伝えることは相当に難しいでしょう)

ゲームにまつわる驚きや楽しみを記録することなど、そもそも出来るわけがありません。別の言い方をするなら、現実的ではない。

しかし、この点を押さえておかなければ、当時の人々がなぜああまでゲームに熱中したのか、その説明がつかないのです。

このイベントを取り上げた「アトランティック」誌の記事によると、この点を指摘した人もいたものの、反応としては、誰もがその重要性を認めつつも、難しい問題だとして口を濁すばかりだったそうです。

この「記憶」を保存することこそ、ゲーム保存運動のもっとも重要で、もっとも根本的な要素だという認識は、保存運動に関わる人々にもすでに広がっています。時間が経てば経つほど不利になることも同様です。ただし、これといった手が思いつかない以上、ひとまずの課題としてオリジナルのハードやソフトの保存に取り組んでいるのが現状のようです。

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(Source: vimeo.com)

Sep 30
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(Source: protective, via nothingcorp)

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(Source: heathwest, via 73chn01r)

Sep 28
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(Source: kraftundlicht, via 73chn01r)

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Sep 26
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